高校生のハイレベルな知的好奇心を十分に満足させ、東大を始めとする難関校に毎年多くの合格実績を出しているのが、SEG(エスイーシー)です。開成高校(東大への合格者数でトップ)をはじめ、首都圏の中高一貫進学校の生徒の絶大な信頼を受けています。「東大の二次(前期理系)でも、数学には完璧な自信を持って臨めた。SEGのおかげ「理系の難関大をめざすなら、SEGに行くのが常識だった」こうした意見からもわかるように、とくに理数系カリキュラムが、抜群に充実しています。なにしろ。名前のSEGは、「科学的教育グループ」の頭文字だそうで、「東大数学科の同期生の呼びかけ」といった設立経緯からも、その充実度は納得できます。しかし、近年は、独自の英語教育にも力をいれ、文理あわせて支持者を増やしています。新宿まで通う必要がありますが、出版物やカリキュラム提携する予備校・塾もありますので、そのすばらしさに接する機会は、増えています。
塾では、二時間単位の授業の途中に五分から十分の休憩を入れていた。特に小学生には長時間の学習は無理なので、必ず十分以上の休み時間を与えている。この間の過ごし方を見ていると、子どもによって実に様々だ。わずか十分、多くても十五分の休み時間を、子どもたちは思い思いのやり方で過ごしている。じっくり観察していると、学校の成績が良くて塾でもよく発言する子どもと、あまり勉強の方は芳しくなくておとなしい子とでは、かなり様子が違う。成績の良い子ども達は、十分間という短い時間を利用して、実にいろいろな遊びを毎回工夫してやっている。鉛筆一本だけを使って、一定のルールを決め、四、五人の仲間を集めて熱中していたかと思えば、次の日は消しゴムと定規を利用したゲームを考えている。その他シャープペンシルと消しゴムを組み合わせたもの、十円玉を使った単純なゲーム、数え上げたら切りがない。「黒板を使っていいよ」というと、二人ずつで五目並べのような遊びをしたり、クイズを出し合ったりしている。彼らの共通した特徴は、常に何か頭を使って、手近にあるものでいかに楽しく遊べるかを考えていることだ。自分たちで人数に応じた規則を作り、熱中してゲームを楽しんでいる。成績の良い子どもは、暇な時間があっても、いつも頭を使っているということだろう。
自己愛的な人は、逆にその自己愛(自分をかわいいと思う気持ちや、自分が優れていると思う気持ち)が傷つきやすい傾向があります。たとえば、ちょっとミスを指摘されただけでも、自己愛が傷ついてしまい、意欲を失ったり、すねてしまったりして、結局、その人本来の能力が発揮できないことになりやすいのです。もっと気をつけたいのが、自己愛が傷つくことを恐れるあまり、不用意な自己防衛をしてしまうケースです。それは「やればできるのはわかっているけど、やらないだけ」といった台詞によく表れています。どういうことかといえば、勉強をやらなくてできなくても自己愛はそれほど傷つかないが、勉強してできなかった場合、自尊心や自己愛が傷つくことを何よりも恐れているということです。このタイプの人は、無意識のうちに安易な心理的自己防衛をしているのです。こうした心理状態が習慣化すると、モラトリアム的言い訳を繰り返すことになるわけです。モラトリアムタイプは、一九七〇年代の後半にすでに慶應大学の先生が若者心理として指摘していましたが、私の見るかぎり、最近の若者にはますます増えているようです。彼らは、自分で自分に対してきびしい現実との対決を「執行猶予」してしまうのです。結果を重視する立場からすると、これは逃避といわれても仕方ありません。このような人は勉強にかぎらず、何事に対しても逃げ腰になりやすいので、くれぐれも注意すべきです。